何故に減薬しない?

今日は精神科の通院日でした。

例えば、リーマス(気分安定薬)を飲んでいた時には激しい下痢に悩んで。

トピナ(抗てんかん薬)の時も激しい下痢が出て。

ジェイゾロフト(SSRI抗鬱剤)の時には躁転。

トリプタノール、アナフラニール、トフラニールの三環系抗鬱剤の時には激しい口渇。

ベゲタミンA(もう販売されてない睡眠薬)(笑)(/ω\)激しい口渇。

ラミクタール(抗てんかん薬)帯状疱疹。

その他・・・(/ω\)(笑)ナイト・メアを観て中止になった睡眠薬あり。

メイアクト(抗生物質)激しい下痢。

全て、中止・・・

飲める薬、少ない(笑)(;´∀`)

今回も長い間飲んでいる、エビリファイかデパゲンRが悪さをしていると思われ

今日、主治医に相談すると。

このままで、行きましょうと(;´∀`)(;´∀`)(;´∀`)

お茶等の水の多飲は治らない。

水の多飲でナトリウム不足になった事も、一度や二度ではない。

今の主治医とは12年のお付き合い。変え時・・・だろうか?

今日は真面目に向精神薬を減らしてもらおうと思っていた。

しかし・・・元の木阿弥・・・(/ω\)

エビリファイもデパゲンRもMax出てる。

僕、自分が社会福祉士と精神保健福祉士資格持っているからどうかなぁ・・・

って、訳じゃないけど・・・僕は自分の事を双極性障害ではないと思ってる

本気で・・・

そう思う事が、病気なんだって???(;´∀`)(笑)

そうかも・・・

エビリファイもデパゲンRも診療報酬的にはいっぱいいっぱいだけど

医学的には後、50%は出せる。

いや、出して欲しくない。

むしろ、自己治癒力に賭けたい。

『すべての不調は自分で治せる』

と言う本を読んで、自分で自分を治したい・・・と思った。

現在、一日目安

プロテイン20グラム×3

等々を飲んでいる。他、サプリ等。

向精神薬、減らせるんだけどな・・・

次は一月後・・・

薬が減らないかなぁ・・・

強迫性障害とのお付き合い~心の病⑤~

何も変わらなかった・・・

二年間偏差値は上がらず、65近辺をうろうろしていた。

それでも都内のどこかの大学に潜り込めれば御の字・・・の筈だった。しかし・・・

自分は二年間も人より否、現役も含めると三年間も他の受験生より頑張って来たのに、これじゃ、勉強損じゃん!

強迫性障害にもなって、不眠と不潔恐怖が抜けないのに・・・

現役の時にR大学に行って置けば・・・

テニスでもやって高校の時のように波乗りでもやってバンドやって!

何だかなぁ・・・

一浪目もどこにも合格できなかった。二浪目も・・・

どこも合格できなかった・・・

心身は疲弊していた。本当に何もする気が起きなかった、二十歳の春。

どうしていいか分からなかった。

H大に入った兄は僕に働け!と怒号を浴びせた。

母親も。

父は無関心だった。ただただ、嵐が過ぎ去るのを待っていた。

僕は大学に行きたかった。

法学部に行きたかった。

父を尊敬していたのに・・・

大学に行きたかっただけなのに・・・

二十歳になっても、僕は何者にもなれなかった・・・

大学生にも社会人にも。

その頃、そんな言葉はなかったが・・・完全ニートだった。

ストレスと睡眠薬等の抗精神薬物による食欲増進で体重が高校三年の時より十五キロは増えていた。

自信もなく、未来もない。

ズブズブの鬱の沼に沈み込んでいた。

強迫性障害はきちんとした治療をしないと鬱を誘発する。

いわゆる、精神病のカテゴリーには入っていなかったが。ある時

精神科医がなかなか病名を僕に言わないで、言うように詰め寄ると

「鬱傾向にはある」

と言われ、ホッとしたことがある。何故だろう?

それを、家族が聞いていて、家に帰って凄く罵られた。

まだまだ、精神科の敷居が高かった時代

無味乾燥な精神科医の言い口と脱力感だけの僕

何をしても楽しくない。何をしても気が晴れない。

楽しい事ってなんだっけ?

そんな、二十歳・・・

続く・・・

子供達・・・

性懲りもなく、二回目の更新です( *´艸`)

下の子の胃腸風邪は終息しました。上の子にも移らずに済みました(;´∀`)

一安心という所です。明日は建国記念日で祝日なのですが、何故か僕は仕事で。

下の子がおもむろに「焼き肉が食べたい!」と言うので明日は昼から焼き肉を食べに行く予定です、お金があれば・・・妻と相談です。

仕事は休むと連絡を先程、入れました。お気楽爺だね~~~~(/ω\)

さっきまで下の子とトランプで遊んでいました。ポーカーとブラックジャックを少々。

全く、小学生らしくない・・・(笑)(/ω\)

さて、お話はもうすぐ高校に上がる上の子のお話・・・

上の子は、前にも書いた通り私立の中高一貫校に通っています。

高校はドロップアウトしそうですが(笑)(*´ω`*)

その上の子、僕の社会的脆弱性、簡単に言うとメンタルが弱いのが遺伝したのか。

中学二年中頃に親から視て「強迫性障害」っぽくなりました(´;ω;`)ウゥゥ

都内の病院の「小児精神科外来」で診てもらうと、やはり、「強迫性障害」との診断を受けました。そこの医師は、小児精神科の医師でも発達障害系の疾患?には強いようで、特にLD(学習障害)には詳しいように感じました。

でも、上の子は学習障害でもなく、発達にも障害はありませんでした。

小児精神科の医師は両親と上の子の話を漫然と聞くだけで指示的な・・・特にこれをしたら症状が改善するとか、こういう行動や思考の変容をした方が良いのではないか?というアドバイス的なものは全くなく、向精神薬を出したがっていました。

僕は妻と相談し、薬の服用をしないで済むような精神科の病院を探すことにしました。僕の実体験から眠れない訳でもない、心身が不安定なわけでもなく、思考や行動変容で「強迫性障害」は寛解できると信じていたのでそんな病院を探して、現在、上の子がお世話になっている病院に辿り着きました。

そこは、大都会にある病院でした。紹介状を前の病院からもらうと、予約は早かったです。1月位だったでしょうか?

その病院は専門の心理師が3人いて主治医の精神科医がいる病院でした。

上の子と一人の心理師はウマが合ったようです。一時間の面談時間が終わると楽しそうに心理面談室から出てきます。

親に言えない悩み事も聞いてもらっているようです。少し悔しい部分もあります(笑)(*´ω`*)段々と上の子の症状は目に見えて良くなっています。

上の子は向精神薬は飲んでいません。心理師のカウンセリングと医師の面談のみです。その医師の診察も保々、15分診察で終わります。

心身的には安定しています。

安心しています。

でも、前に書いた通り、高校に行くのは無駄だと言い切ります。

本当に無駄なのかなぁ・・・

高校卒業程度認定試験(旧大検)を受けて合格する力はあるのかな?本人はそのつもりですが・・・(/ω\)

分かりませんが、本人が今年の7月に合格すると言っているので嘘はない・・・

・・・(笑)(/ω\)筈ですが。

世間知らずで頑固なだけだと思います。さて、どうなる事やら・・・

見守りましょう・・・上の子の未来は上の子が作ると思います。僕は親の敷いたレールに乗せられて失敗しました。

さてさて、どうなることやら・・・


抗ヘルペス薬服用完了!その他、色々!

今日は皮膚科の診察でした。

抗ヘルペス薬は今日で終了になりました(^_-)-☆塗り薬は出ました。

塗り切りで通院しなくてもいいでしょ・・・と、三週間後まで治っていなければ、また、通院と言うことになりました。良かった良かった。

あ~~~~1月から長かった。ヘルペスと診断されてから、痒みと痛みの闘い。

口唇ヘルペスを舐めてはいけないね。治らなかった~~~~(;´∀`)

口が痛し痒し・・・しかし、今の病院はもう行きません。皮膚科医の態度悪すぎ!

何で医者っていう生き物は横柄なんだろう。精神科は別だけど。じゃないと、10年以上今の主治医と付き合っていないけど・・・

僕は精神科医のドクターショッピングもしたことがあって、ドクターハラスメントのような態度をされた事があります。

某自治体の精神科医は酷く、もう、何年前でしょうか・・・20数年前かな?僕の薬のレシピを見たその精神科医はその瞬間!

薬(向精神薬)を減らしなさい!と厳しい態度で言い、精神科医はそれまで飲んでいた薬の量を半分以下にしたのです。

入院ではそういう事もありだけど、在宅でなぁ・・・それからが厳しかったです。2月程、寝込み、精神科にも行けず、その間、薬は親族に取りに行ってもらい・・・薬を何とか減らしました。

その医者がこの間、ローカルニュースでテレビに出ていました(笑)(;´∀`)

何だか、患者が地域社会と連携すべき・・・とか、医師は患者を愛護的に扱わなくてはいけないとか・・・

すごい、二枚舌・・・(;´∀`)(笑)ただのドクハラ爺ぃ。精神科医の選び方は後述しようかと思います。薬を減らすのは間違いではないですが、その為には、患者を精神科病棟に入院させるとかしないとね。薬を急激に減らすことで稀死念慮(死にたい病)が表出する可能性もありますから。

実際、僕もやらかしてる。もうしないけど(/ω\)

子供や妻がいると、滅多な事はできませんね。生きないとね。働かないとね。

今の所、大丈夫、大丈夫(^_-)-☆

昨日、下の子の胃腸風邪が僕に移ったと書いたかな?・・・

大丈夫でした。今の所、僕は熱もなく、お腹も下っていません。吐き気もありません。下の子も水曜日から通常通り学校に行く予定です。

上の子にも妻にも移りませんでした。

お腹の大事になった方もいるそうで・・・ネットニュースで観ました。舐めていられなかった今年の胃腸風邪、下の子も少し痩せました。今日からバキュームカーのように食べています。

それはそれで、不味いのですが・・・(笑)( *´艸`)

昨日からPCでWordpressを書いています。

スマホよりストレスがないなぁ・・・

また、頑張ります。色々と。

それでは・・・”(-“”-)”

胃腸風邪(>_<)

下の子が胃腸炎で学校を木曜日から休んでいます。

木曜日は学校の行事もあって絶対、行きたいと言っていたのですが・・・

無理でした(/ω\)友達みんなで行事を楽しみたかったと下の子。今のクラスでは最後の行事。来年度はクラス替えになります。それなのに、胃腸炎。

悲劇過ぎる(笑)(#^.^#)・・・お蔭で僕は金、土と仕事を休みました。

妻は一家の大黒柱なので、仕事に行かなくてはなりません( *´艸`)←お前が行けよ(笑)

そうして、今日、日曜日から今度は僕が、胃腸炎に・・・

ノロウィルスなのかなぁ・・・下の子の時は小児科医は胃腸炎とそして、家族で胃腸炎が流行っていないかだけ聞かれました。家も野戦病院と化しています。

ここは踏ん張り時、ネット情報だと完治するまで5日ほどかかりますとのこと。仕事、休まないと・・・と思います。

あ~~~~~パート収入がぁ・・・減って行く・・・折角、仕事が続いているのに~~~~~何てこった。

でも、お腹が痛いだけで熱とかはない。まだ、大丈夫。

ヘルペスで明日、皮膚科に行かなくてはならないけど、薬だけ貰うことはできないかなぁ・・・無理か・・・

皮膚科医は週に一度しかいないし、困った困った。本当に困った。

下の子の胃腸炎をもらはないように、万全を期していたのだけど・・・さて、どう、乗り切ろうか?

上の子にも移さないようにしないと~

上の子は水曜日から学校で高等部入学試験がある。あ~~~あ。

後、4日で治る・・・症状は大した事はない。大丈夫、大丈夫。

家で寝ていれば大丈夫、大丈夫。

と自分に言い聞かせる。PC打ててるからね。

しかし・・・

お腹が痛い~~~~~~(/ω\)

頑張れ!

新型コロナウィルスが流行しています。

中国に住んでいらっしゃる方々。そして、全世界の方々。

病に打ち克ちましょう。

某国々でアジア人の排斥の動きもあります。

悲しい事です。

日本国内でも、某国の初動の動きを避難する動きもありますが、今は病原体が広がらない事を祈ります。

特に中国、武漢、湖北省に住んでいらっしゃる方々、どうか、ご無事で。

日本でもクルーズ船で61人の罹患者を出しました。重症の方もいらっしゃるようです。

これまでの日本の感染者は25人、合算はしないとのことですが・・・

30年前に免疫力が失くなって肺炎の経験があります。二浪目の終わりです。受験ができませんでした。ウィルス性でした。

ペスト、コレラ、SARS等、人間は数々の感染症に立ち向かって来ました。

きっと、きっと、打ち勝つ日が来るはずです・・・

心の病・・・4

二浪目に入った。

僕は深い闇の中にいた。多量の精神安定剤と睡眠薬が手放せないでいた。睡眠薬を飲んでも寝れなかった。

五月のある日の事、僕は母親と兄に、今となっては命より大切になった、向精神薬たち全てを隠された。

30年前も今も多量の薬を急に止めるのは忌避である。僕は薬による離脱症状なのか、薬がないという不安からくる怯えからなのか薬がなくなったという不安からおかしい具合になり。

衝動的にガラスを突き破って二階の窓から階下へ飛び降りた。

身体中ガラスの破片で切り、血だらけになったが二階からと言うこともあり、足を挫いた程度だった。しかし、怯えた母親と兄は救急車を呼び、僕は整形外科のお世話になった。

それからというもの、家族は僕の事をまるで、腫れ物を触るように扱うようになり、薬は自由に飲めるようになった。

薬を隠された事を告げると、精神科の医師は母親を僕の代わりに窘めた。彼女は医師の態度にただ、頷くしかなかった。

二浪の夏迄の成績は偏差値65周辺をうろうろしていた。良くも悪くもならなかった。英語と日本史は65オーバーだったが国語が特に古典が壊滅的だった。古典の中でも古文単語が全く頭の中に入って来なかった。

苦手だ苦手だと思うと余計に嫌いになっていく悪循環だった。季節は流れて、また、受験の季節になった。

Feb’s moon

日本時間、二月五日水曜日、17:40です。

今日は仕事帰りに月を発見しました。

二月五日の月

ズームで撮ったのですが、いかんせんスマートフォン。しかも、某今話題のほにゃらら国製品。

モノは良いんです。デバイスの。でも、写真を撮るとなぜか彩りが昭和っぽくなります。古臭い(笑)☺️w

価格だけで選びました☺️w

今日も昨日同様、マスクをしてお仕事をしてきました。今週は、土曜出勤があって、来週の月曜日が休みです。

月曜日はまた、大きな病院の皮膚科に呼ばれています。ヘルペスくらいで大袈裟な(笑)☺️w

1月の始めからヘルペスができ始めてもう、あっという間に2月になってしまいました。早いですね。本当に。月日が移り行くのは(笑)☺️w

今はお薬を飲んで、薬を塗って保護して何とか切り抜けようと思っています。

今月は医療費がかかるなぁ・・・

いつもの月より。30年以上通ってる精神科でしょ?皮膚科でしょ?それから喘息の内科・・・

医療費ばっかり・・・

ええい!ヤケだ!もう一丁、月~✴️

しつこいっていう・・・今日は上の子の事を少し。上の子は丁度、三年前、中高一貫の私立中学に入学しました。

中学受験で合格した私立中学校は二つ・・・本当は公立の中高一貫校に合格して欲しいと願いましたが、ご縁がありませんでした。

私立中学は二校とも特待生で一年間の授業料と入学金は無料でした。

一校は混まない電車で一時間ですが、もう一校は満員電車で一時間です。上の子は満員電車で一時間の学校を選びました。上の子が言うには、校風が気に入ったとのことで・・・

でも、本当は上の子が行きたい私立中学がありました。でも、受けさせてあげられませんでした。

金銭的な理由でした。その学校は特待生の制度がなく、一年間の学費だけで結構な金額がかかりました。僕達夫婦は共働きでしたが、授業料、施設設備費、修学旅行積立金等々を賄うだけの財力がありませんでした。

しかし、上の子は地元の公立中学校には行きたがりませんでした。

上の子は小学校五年生になるまで、虐めを受けていました。五年生から友達もできてよく笑うようになったので少し、安心していたのですが・・・

小学校六年生まではクラス替えがありません。しかし、中学校に入ればクラス替えがあり、虐めが再発する可能性がありました。上の子は小学校六年生になると、中学受験の準備をしたいと願うようになりました。

なぜなら、友達のほとんどは中学受験をして地元を離れたいと考える子供ばかりでした。上の子の小学校六年生の頃の勉強時間は目を見張るものがありました。

そして、三年前の今頃、上の子は公立の中高一貫校は不合格でしたが、今度は親の希望通り学費免除を勝ち取りました。それも、中学三年間ずっと。

その間、英語検定準一級、数学検定二級、漢字検定二級にも合格しています。学内では常にトップクラスにいます。

しかし・・・上の子は

高等部に行く事をためらっています。満員電車に揺られて高等学校に行く意味がないと言います。お金を稼ぎたいと言っています。

今年の七月に高等学校程度認定試験?😣(旧大検)を取って、とっとと高校を辞めてしまって飛び級で関西の大学に行きたいと言っています。

何で関西なんやろ?✴️☺️

学校の人間関係にも満足していると言いますが、なぜか学校は辞めたいと言っています。

なんでやろ?✴️☺️

学校を辞めれば、そこには薔薇色の桃源郷が広がっているとでも?

人生舐めきっているとしか思えませんが、反抗期で言うことを聞きません。

困った困った。これで、関西の大学にでも飛び級で入ることになったら・・・

何か間違っているような気がします。

さて、明日も仕事になります。頑張ります😔

非正規雇用です😔。いえ、パートのオジチャンからでした。また、明日!

穏やかな今日。

余りに病気の事ばかり書くと自分の具合が悪くなりそうなので、ちょっと、お休み☺️

昨日は上の子が神奈川県の片瀬江ノ島海岸に行って来たそうで・・・

昨日は真冬だと言うのに、暖かな日和だったことも幸いで。

上の子にしては朝早く起きて江ノ電に乗って友達みんなでと楽しんできたそう。

よかった、よかった(笑)☺️w

日が暮れると江ノ島海岸でイルミネーションが・・・

海岸でイルミネーションだって?どんな風に?・・・笑ってしまった。上の子の説明・・・なってない(笑)☺️

一生懸命、父と母に説明してくれたのだか、父の理解不足か?

多分、父の理解不足かなぁ・・・

今日はぐっすり朝から寝ていて、起きたのは夜の7時過ぎ😊

疲れてたんだなぁ。

1月は外国留学で忙しくて遊ぶ暇もなかったから、1日、4時間、パソコンに向かっていたからね。

外国留学は行くと2度目、通常の高校生で見ると多い方かな?

前回も今回もオセアニア、前回はオーストラリア、今回はNZかも?

語学留学も英国や米国から変わったね。

今はオセアニアや東南アジアが主流みたい。変わったなぁ・・・

それだけ、オセアニアや東南アジアが安全で裕福になったのかもね😔

貧富の差は広がったみたいだけど。日本も。

さて、僕のこと。

昨日、皮膚科に行きました。口唇ヘルペスと診断された。

イタ痒い(笑)☺️w

患部に触れさせなければいいからと、仕事はOKという医師からの話だったので、マスクをしてお仕事。

やりにくかった。

さて、午後9時です。明日は仕事は行けるかな?

仕事に穴は開けられないね。

頑張ります😔

また、明日・・・それでは。

ブログも更新したいな😊

心の病・・・3

渋谷にある薄暗い、精神科の待合室。僕は兄連れられて、見るも無様な格好、つまり、処暑を過ぎたとは言え、まだ暑い夏の午前中。長袖のTシャツを着て、踵を覆うような長いジーンズを履き、目深い帽子をかぶって、人目に付かないよう。日射しを浴びない衣服を纏っていた。

始めに心理師から色々な質問を受けた。生い立ち、生育歴、最近の事まで。一時間位は話した。それから、医師の診察。

30分位かけて丁寧に話を聞いてくれた。一週間分の薬を処方され、飲み始めた。薬の名前は忘れたが、三種類位、初診にしては、現在の事を考えると、多めだった。当時は多剤処方が漫然と行われていた。このときは知らなかったが、僕の病名は強迫性障害だった。つまり、神経症だった。薬を処方され一度、AIDS検査を受けてみるようにアドバイスされた。

僕は少し離れた新宿区にある保健所が、匿名でHIVの抗体検査ができるという事だったので、精神科の医師の大丈夫だからと言う言葉にも救われて、検査を受けたのだった。

二週間後の抗体検査結果は陰性だった。

僕は先輩の彼女と、よりを戻そうとは思わなかった。僕と初めて過ごした夜のあの、田舎臭い彼女はもうそこには、居ず、都会に溶け込みシティライズされた一人の女性に彼女は変貌をしていた。とても、今の僕とは釣り合わないと思った。

彼女と連絡が取れたのは九月になってからだった。当時は携帯電話もなく、ものすごい勇気と覚悟で彼女は僕の家の固定電話にかけたのだ。

しかし、僕は自分が受験生で勉強をしないと、希望の大学には入れないこと、受験ノイローゼで精神安定剤と睡眠薬が手放せなくなっていること。そんな、自分に人を将来を約束できるハズがないと言うことを説いた。

彼女はそれでも待つとは、言った・・・それから、数ヶ月して新宿歌舞伎界隈で彼女とその連れがラブホテルから出てくる所を見た・・・ような気がした・・・それは幻覚だったのかも知れない。僕はそれから、何度か彼女から固定電話が鳴ったが、家族のものに取り次がないように強く言った。そうして、先輩の彼女との関係は呆気なく終わった。

HIV検査をしても、僕の強迫性障害は収まらなかった。例えば、HIV抗体ができるまでに二ヶ月から三ヶ月はかかる。もしかしたら、検査した時点、つまり検査直前の二ヶ月、三ヶ月前の状態は陰性だったが、検査をした二ヶ月、三ヶ月前に性交渉をしていれば、もちろん、検査の意味は持たない。当時の考え方で、今の検査キッドの精度は幾何は分からないのだが、当時の書物を読むとそのような事が書いてあった。

僕は検査の二ヶ月、三ヶ月前は彼女と性交渉ありきだった。避妊もせず、身体中の至るところを愛撫し、彼女の体の全体液をすすった。ケガをした後にできた瘡蓋から滲む血液でさえ。僕はその鉄の味をした血液を舐めた。

今ではHIVは早期発見、早期治療で如何ばかりにでもなるが、当時は不治の病と言われていた。僕は自分のした行為を恨み、今度は彼女とした行為を精神科の主治医に話せないでいた。

因みに、強迫性障害を発症するとどんなトリガーに引きずられたにも関わらず、鬱病様の症状を呈する事がある。現在ではSSRIを処方するのが一般的ではあるが、30年以上前はSSRIという薬の概念がない。

鬱病と診断され、三環系抗うつ剤を処方されていた例もあった。僕は現在、双極性障害という病名が付いているが双極性障害に三環系抗うつ剤は忌避であり、処方がされないのが常である。

僕は実際に三環系の抗うつ剤を処方され、そして僕は躁転し、双極性障害になったとは考えられないだろうか?僕のDNA的にはストレス虚弱体質ではあったが双極気質は持ってはいないはずであった。当時はお薬手帳もない時代。今はもう、調べようもなかった。

生育歴に問題があったという事も考えられた。いずれにしても、一浪目の僕は現役でRという中堅私大に合格したにも関わらず、高みを望んだ為か?病気のせいか?

受験した全ての大学を不合格になった。

続く・・・

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